琉球風水アカデミー学長の横川明子です。
沖縄県のコミュニティ FMラジオ局、 FM ぎのわんに出演してきました 。
沖縄大家の会の会長でいらっしゃる、下地潤栄さんがパーソナリティを務めるラジオ番組でお話をしてきました。
これまでにも、テレビやラジオに出演をしてきましたけれど、ほとんどが琉球風水師として風水の専門的な内容をお話しするというようなスタイルだったのですが、今回はなんと人生のターニングポイントというテーマで私の半生についてお話をする機会になりました。
これまで私があまりお話ししてこなかった風水師になる前のお話であったりとか、また沖縄で風水にどうやって出会ったのか、そんなことも詳しくお話ししています。
以下、潤栄さんからの番組のご紹介文です。
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今回の「繁栄軍師潤栄の人生好転ラジオ」には、琉球風水師、ロンジェ琉球風水アカデミー学長の横川明子さんにお越し頂きました。
横川さんは、元々は某放送局でアナウンサーをされていたそうですが、ある時「作られた番組では無くて自分の専門知識や伝えたいメッセージを、自分の言葉でしゃべれる人生を歩みたい!」と思ったところから10年勤めていたアナウンサーというお仕事を辞めて、大学院に進学されます。 大学院では、アナウンサーの仕事の後だったので、最初に言語学の研究をしていくのですが、コミュニケーション学という領域の中で、環境教育や環境学というものが学術的に研究されているという事を大学院で知ったそうです。
横川さんは、元々スクーバダイビングやトレッキングが趣味で、自然がとっても大好きだったので、「これからの自分の人生、特に自分が何かを伝えるっていうスキルを、アナウンサー10年掛けて身に付けて、これからこの地球環境を守るために、地球環境問題の課題の解決が出来る為に、自分のスキルや能力を使っていきたい。」と思ったのが、大学院での環境学との出会いだったとの事。 その当時、漠然としたミッションやビジョンというのを描いていても、具体的にどうしたら良いのか分からない中で、自然に関わる事を色々やっていたが、横川さん自身が学んでいて楽しいなと感じたのが、韓国人の先生が教える風水だったそうです。
ただその時、東京で教えてもらっていた風水というのは、家相とかインテリアなどを改善して運気アップをするというものが多かったとの事。学問としては楽しかったものの、これを自分の人生を掛けて伝えていくのかと振り返った時に疑問が残り、自分の趣味程度に抑えておこうと思ったそうです。
そんな時、東日本大震災が発生します。この東日本大震災を経験して生き方を考えた方は沢山いらっしゃったと思いますが、横川さんもその当時東京に住んでいて、震災後の環境問題が色々取り上げられる中、もっと自分の人生を自然豊かな場所で心地よく暮らしたいなと思ったところ、既に沖縄へ移住していたスクーバダイビング仲間のご縁を通して、1カ月も経たないうちに沖縄のある離島に住む事になります。
しかし実際問題として移住した離島で生活基盤のお仕事はどうしていたのかお尋ねしたところ、横川さんは10年に1回「人生の休暇」を作るというのを人生のコンセプトにしていて、沖縄の離島に住み始めた時期を「2回目の人生の休暇を頂いたな」と捉えて、毎日海に行って泳いだり釣りをしたりと楽しむ一方、アロマの空間デザインのデザイナーとしての資格を持っていたので、オリジナルアロマの開発をしたり、ワークショップを開催したり、アロマのスキルを生活の中にどうやったら活用出来るかを研究したりと、好きな事をしてして幸せに過していたそうです。
そんな中、大学院で学んだ環境学と、韓国人の先生から学んだ風水の知識が合わさる体験をされます。その時に横川さんが住んでいた家が敷地面積200坪、築180年の琉球古民家だったそうなんですが、その住宅そのものの環境的要因として、後ろに山があって、左右が防風林の役割を果たす福木でしっかり守られているという条件が、風水の古典に出て来る様な「良い立地条件」を満たしているのに気付きます。
東京で風水の古典文献に出て来る良い立地条件を見つける事はありえないし「今の時代こんな住宅に住める訳が無い。昔はこんな家もあったんだな。」と思っていた立地条件がキレイに存在している事に風水の存在を感じ、その視点で集落にある家々の向きを調べてみると、通常住宅は道を中心として建てられるので、玄関は道路を挟んで向かい合わせになるものですが、その島にある70世帯の住宅全ての玄関が南を向くように、集落が設計されている事に気付きます。
しかもその島の北側には人は住んでなく南側にのみに集落がある。これまで集落が風水によって設計されていたというのを聴いた事が無かった横川さんは、その集落そのものが「後方左右の三方を山に抱かれていて前方に海がある」という風水の四神相応理論「玄武・青龍・朱雀・白虎」によって守られた地整が存在しているってどういう事だろうと驚いたそうです。
もしその集落が都市計画として風水が取り入れられていたとしたら琉球王府による政治的要素があるのではとの仮説から調べてみると、中国留学から帰国した琉球王府の役人達が王城の風水を観て、各集落を設計していったという文献や、琉球王国の三司官のひとりの蔡温が300年前に出した「琉球王城風水鑑定報告書」が見られるって何て凄いところなんだと感動され、その集落での生活そのものが、横川さんと琉球風水との運命的な出逢いになります。
その後、琉球風水について深く研究するため沖縄本島の宜野湾市に移り住み、研究を重ねる中現在提供している風水のコンテンツを作り、沖縄本島への引っ越しから5か月後には琉球風水のスクールを立ち上げます。 またそれと同時期に、離島生活の時に書いていたアロマの空間デザインのブログを見た沖縄タイムス住宅新聞さんから、コラムを書いて欲しいとの依頼が入り、そのコラムから沖縄県内最大のリビングショーでの講演依頼に繋がっていきます。
東京に住んでいた女性が、東日本大震災をきっかけに仕事の無い沖縄の離島に移り住み、その後「琉球風水スクール」の学長として、オンリーワンの存在に駆け上がって行く琉球風水師・ロンジェ琉球風水アカデミー学長の横川明子さんの人生好転ストーリーの続きは、是非YouTubeにてお楽しみ下さい。
東道里璃 (とうどう りり)
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