琉球風水の研究者、東道里璃です。
沖縄国際大学経済学部地域環境政策学科で、「グローカルセミナー」を担当しています。
机の上には、16世紀の冊封使による琉球王国の記録、首里城に関する文献、風水思想の専門書、そして異文化コミュニケーションの理論書──。大学での授業準備のひとときには、こうした異なる領域の資料と静かに向き合う時間があります。
「グローカルセミナー」講義は、ひとつの分野にとどまるものではありません。琉球の歴史文化と現代社会をつなぐ鍵は、「領域横断的な視点」にあると感じています。風水・歴史・文化・コミュニケーション──それぞれの知見が交差することで、より深く、より多角的に世界を捉える視点が育まれると信じています。領域横断的アプローチというのは、異文化コミュニケーション学の特徴でもあります。
この記事では、異文化コミュニケーション学の入門書である『はじめて学ぶ異文化コミュニケーション』と『異文化コミュニケーション・キーワード』を元に、「文化とは何か」など異文化コミュニケーション学の基本をまとめました。なお、”価値観”と”アイデンティティ”については、私の専門領域である東洋哲学の考え方と融合してお伝えします。
異文化コミュニケーション学入門
1. 文化とは何か
文化とは、”集団の成員によって、長年の間に蓄積された生活様式”です。「高等文化」と「一般文化」に分けられます。「高等文化」は、芸術、思想、科学などで一般的な”文化”のイメージとなっているもの。「一般文化」は、日常の生活様式です。異文化コミュニケーション学で扱うのは、主に「一般文化」です。
文化の三層構造──精神文化・行動文化・物質文化
文化は大きく「精神文化」「行動文化」「物質文化」の三層に分けて理解することができます。
最も深い層にあるのが「精神文化」です。これは内面的で、潜在的、そして多くの場合、無意識のうちに私たちの価値観や信念、世界観に影響を与えています。
その上に位置するのが「行動文化」です。行動そのものは外から観察できるため表層的に見えますが、「なぜその行動を取るのか」といった背景には、精神文化に基づく深い意味づけが存在しています。つまり、行動文化は表層と深層の両側面を持っているのです。
最も外側にあるのが「物質文化」です。衣食住や建築物、道具など、目に見える文化要素です。しかし、これらの物質も単なるモノではなく、文化的な意味や象徴性を帯びています。
たとえば、日本人にとっての「米」は、単なる主食ではありません。祭礼や年中行事、日々の生活を通して、「米」には精神文化や行動文化との深いつながりが宿っています。
文化の局面 | 内容例 | 特徴・性質 |
---|---|---|
精神文化 | 価値観・思考習慣・記憶・信仰・哲学・五感の刺激・感情・興味関心 | 認知的・情緒的活動(潜在的) |
行動文化 | 読む・書く・聞く・話す・表情・しぐさ | 行動に現れる文化(潜在的・表層的) |
物質文化 | 衣食住・建築・道具 | 具体的なモノ・形態(表層的) |
このように、文化には3つの局面があります。それぞれが独立したものではなく、相互に作用し合っています。何かしらの理由で1局面が影響をうければ、他も必然的に影響を受けます。
「文化は氷山」──目に見えるのはほんの一部
文化はよく氷山にたとえられます。海の上にわずかに現れるのが、衣食住や習慣などの「物質文化」や「行動文化」。私たちが他者の文化を見たとき、まず目にするのはこの表層部分です。
しかし、その見えている部分の奥底には、はるかに大きな“見えない世界”が広がっています。そこにあるのが「精神文化」──価値観や信念、世界の捉え方といった深層の文化です。
この精神文化こそが、人々の行動や物の使い方に深く影響を与えているのです。つまり、目に見える文化は、目に見えない文化に支えられている氷山の一角にすぎないのです。
\ 文化は氷山のようなもの /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
【目に見える文化】
▲ ────────────── ▲
▲物質文化(例:衣・食・住)▲
▲行動文化(例:挨拶・習慣など行動そのもの)▲
🌊 〜〜〜 海面 〜〜〜 🌊
▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
【目に見えない文化】
▼ ──────────────────── ▼
▼行動文化(行動の根底にある文化的前提)▼
▼精神文化(価値観・信念・世界観など)▼
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
🧊 見えている部分は「氷山の一角」
本質的な理解には氷山の下にある「精神文化」の洞察が必要
🔍 文化は氷山に例えられる:文化理解の鍵は、その深層にある「なぜそうするのか?」という価値観・信念に目を向けることが重要。行動の違い、物質的な違いの謎をひも解く鍵は、精神文化にある。
2. 異文化コミュニケーションとは
異文化コミュニケーションとは、”異なる文化的背景をもつ人々のあいだで行われるコミュニケーション”です。一般には「外国人とのやりとり」や「国籍の違う人同士の会話」がイメージされがちですが、この学問分野で扱う「文化の違い」は、それだけではありません。
たとえば、ジェンダー、宗教、地域性、社会階層など、異なる価値観や生活背景をもつ集団同士のコミュニケーションも、異文化コミュニケーションに含まれます。さらに視点を広げれば、一人ひとりが異なる価値観や人生経験を持っているという事実から、ある意味では「人と人とのあらゆるコミュニケーション」が異文化コミュニケーションだと考えることもできます。
つまり、異文化コミュニケーションとは、違いを前提に、相手を理解しようとする姿勢そのものなのです。
「コミュニケーション」という言葉の原点
「コミュニケーション」という言葉の語源には、神聖な背景があります。もともとは、キリスト教において信者と神との霊的なつながりを意味する言葉として使われていました。語源となるラテン語「communis(コミュニス)」は、「共有する」という意味を持ちます。つまり、コミュニケーションの本質は、何かを共にすることにあるのです。
異文化コミュニケーションの重要なキーワード
- 自文化中心主義(ethnocentrism):自分の属する文化の価値を基準に他の文化を判断する。自分の文化を優位に考える。
- 文化相対主義(cultural relativism):世の中の文化はそれぞれの存在価値が内在しているために、文化に優劣はなく、違いを尊重する姿勢
💡 文化に上下関係はなく優劣はない。横並びの対等な関係である。異文化コミュニケーションにおいて、異なる文化を理解し尊重するこは、最高のリスペクトである。
3. 世界観の違い──西洋と東洋における神・人間・自然の関係
文化の深層には、その社会が「世界をどう見ているか」という“世界観”が存在します。人間は、自らの文化に根ざした世界観を無意識のうちに身につけ、日常の価値判断や行動に影響を受けています。『異文化コミュニケーションキーワード』「2 神と人間と自然の関係ーー世界観」(P5)を参考に、西洋と東洋の宗教観の通して、世界観の違いを見てみましょう
普遍的世界観と各文化固有の世界観
『文化人類学辞典』によれば、
「普遍的特徴という面からみたら世界観は人間・自然・神(力)の3つの要素とその相互関係に支えられる。しかし、それらがの中でも何が最も関心を得るかによって各世界観の独特な性格が浮き彫りにされる」
つまり、世界観には人類共通の側面と、それぞれの文化特有の側面が共存しているのです。西洋と東洋の世界観の違いを理解することは、異文化理解の出発点とも言えるでしょう。
西洋の世界観・東洋の世界観
西洋の世界観(一神教的)
神 → 人間 → 自然
縦のヒエラルキー構造で、厳格な上下関係が存在します。
- キリスト教に代表される一神教の世界観では、「神」が絶対的な存在であり、人間や自然を支配します。
- 人間は自然を支配する権利を持ちますが、いくら努力しても神になることはできません。
- このような秩序の中で、人間と自然の関係は支配と従属として捉えられます。
東洋の世界観(多神教的)
神・人間・自然が調和的に共存
明確な上下関係はなく、三者は連続した存在とされます。
- 神や仏といった超自然的存在と人間・自然の間には、厳密な区別はありません。
- 人間は神や仏と同じように扱われ、来世で神仏になると信じられることもあります。
- 人間や自然には、神性や仏性が宿ると考えられています。
図解1:「神・人間・自然」から見る世界観の違い ― 西洋と東洋の比較 ―
西洋の世界観(キリスト教的・一神教) | 東洋の世界観(仏教・神道的・多神教) | |
---|---|---|
関係構造 | 神 → 人間 → 自然(縦のヒエラルキー) | 神・人間・自然が連続し、調和(円環的) |
支配関係 | 神が絶対。人間は自然を支配する立場 | 上下の区別なく、相互に交流・共鳴する |
神との距離 | 人間はいかに努力しても神にはなれない | 人間は来世で神・仏になる可能性もある |
自然観 | 自然は制御・克服すべきもの | 自然は敬い、共生すべき存在 |
影響文化 | 科学・技術による自然の制御、都市化 | 風水・自然との調和、美意識や儀礼文化 |
図解2:「神・人間・自然」から見る世界観の違い ― ビジュアルイメージ ―
西洋の世界観:縦型ピラミッド構造
神(絶対的存在)
↓
人間(支配者)
↓
自然(支配される対象)
- 東洋の世界観:円環的(トライアングル的)構造
神(仏)
↗↙ ↘↖
人間 ← ← → → 自然
(三者が相互に連続・共鳴)
🌸 精神文化の深層にある宗教観は、その文化の行動様式(行動文化)や、衣食住・技術などの物質的表現(物質文化)にまで、深く影響を与えている。
4. 価値観とはー行動を導くコンパス
私たちの行動や判断のベースになっているもの──それが「価値観」です。
価値観は、精神文化の土台をなすものであり、自分自身の「行動のコンパス」と言える存在です。
人間の行動を規定する根本には「価値観」があり、これは文化から与えられた行動の導因です。価値観とは、何を良しとし、どう生きるべきかという信念や行動の基準であり、異文化間の相互理解や世代間ギャップにも大きく関わります。
クラックホーン=ストロットベックの文化価値志向モデル
クラックホーンとストロットベックは、価値観を「人間の性格」「自然との関係」「時間の捉え方」「行動・存在の価値」「人間関係」の5項目に分類し、以下のように文化ごとの傾向を比較可能にしました。5種類の価値項目をそれぞれ3種類に大別しながら、人類共通の問題に対して文化的解決策を見つけることを提唱しています。
第1は人間の性格で,人間を生得的に「善」「悪」「善悪両性」のいずれか。
ーーー人間の本性をどう見るか。例:日本は「善」犯罪率が低く、安全かつ安心
第2は人間が自然に対して「支配」「服従」「調和」のいずれの態度をとるか。
ーーー自然に対する基本姿勢。例:西洋=支配、日本=調和、インド=服従など
第3は時間の認識に関するもので、「未来」「過去」「現在」のいずれを重視するか。
ーーーどの時間軸を重視するか。例:アメリカ=未来志向、日本=過去志向
第4は存在と行動に関する価値で、「行動的」,「内的成長」、「自然体」でのいずれのあり方で生きるか。
ーーー人の生き方・働き方に関する価値観。例:アメリカ=活動的、仏教圏=内的成長、ギリシャ・スペイン=自然体
第5の人間関係は、自立型の「個人」。集団の中の「縦関係」と「横関係」のいずれを重視するか。
ーーー社会的関係性の理想像。例:欧米=個人、日本=縦、韓国=横
この価値志向は概観的な分類であるが、値観の比較・対照の上で重要な指針となります。
【図表】クラックホーン=ストロットベックの文化価値志向モデル
🧠 価値項目 | 🎯 志向の分類(選択肢) |
---|---|
👤 人間の性格 | ・人間は本来「善」 ・「悪」 ・「善悪両性」 |
🌍 自然との関係 | ・自然を「支配」する ・自然に「服従」する ・自然と「調和」する |
⏳ 時間の捉え方 | ・「未来」志向(目標重視) ・「過去」志向(伝統重視) ・「現在」志向(今を重視) |
🏃♂️ 行動・存在の価値 | ・「活動的(行動に伴う結果重視)」 ・「内的成長(精神的成長重視)」 ・「自然体(現状を楽しむ)」 |
👥 人間関係 | ・「個人」重視(平等な権利) ・「縦関係」重視(権威主義的) ・「横関係」重視(集団的意思決定) |
(出典)『異文化コミュニケーションキーワード』(p7)、『はじめて学ぶ異文化コミュニケーション』(pp90-95)より作成
(原典)Kluckhohn,F,R,and Strobeck,F,L.(1961).”Variation in value orientations“.
国や地域によって、どの価値観を重視するかの傾向はありますが、同じ地域でも様々な価値観が入り混じっており、時代とともに変化する部分もあります。
先天的価値観と後天的価値観
価値観は、自分らしさ=自分軸の源です。しかし、同時に環境や人生経験によって変化していくものでもあります。
ただ、すべてが簡単に変わるわけではありません。表面的には変化しても、深層にある「核となる価値」は揺るがない場合もあります。ここでは、価値観を2つに分類して考えてみましょう。
① 個人的価値観(先天的)
これは、生まれた時の“天体の配置”などに由来する、生まれ持った気質や感受性など個人固有の傾向性です(※)。
「生まれた瞬間の宇宙の影響」といった自然哲学的な視点を含めて捉えています。
② 社会的・文化的価値観(後天的)
これは、育った社会や文化の中で後天的に身につけていく価値観です。
『哲学辞典』では、文化の中に生きる人々の行動には「共通導因」があるとし、こう述べています:
「文化をになう住民も、一般に、一定の方向へその行動を導く共通導因が、そのになう文化から与えられている。よく統合された文化ほど、この導因が明確に看取される。文化的次元において行動を律する導因になっている主観的なもの、それを価値観という。」
異文化コミュニケーション学においては、価値観は社会や文化によって与えられる部分が大きいと考えられています。
例えば、「清明」「お盆」には家族・親戚が集まり、ご先祖様を敬って飲食を共にするなどといった価値は、沖縄という文化の中で自然と身につけられるものかもしれません。
そして、東洋思想的な観点も加えれば、私たちは「自分だけの先天的価値観」と「社会や文化によって育まれた後天的価値観」という二重の価値観レイヤーを持って生きていると考えられます。異文化と出会ったときに葛藤が生まれるのは、これらの価値観が揺さぶられるからなのです。
※補足:個人的価値観の天体の影響についての言及は、東洋的世界観や哲学の文脈に基づいた理解です。異文化コミュニケーション学とは異なる立場で扱っています。
🔄 価値観は、変化する環境と変わらない本質のあいだで、自分らしさをかたちづくる羅針盤です。
5. アイデンティティの多面性
アイデンティティとは
アイデンティティとは「私は誰か」を問う心の軸です。「自己同一性」「自己認識」と言われますが、その概念はなかなか理解しずらいでしょう。アイデンティとは、価値観、興味関心、才能、社会的立場、職業、国籍、民族、ジェンダー、自己理解、使命、人生の目標、ライフデザインなど、様々な概念を含んでいます。『はじめて学ぶ異文化コミュニケーション — 多文化共生と平和構築に向けて』には、以下のように書かれています。
”自己概念とは「自分を対象として把握した概念であり、自分の性格や能力、身体的特徴などに関する比較的永続した自分の考え」と定義される。つまり、簡単にいえば自己イメージと言い換えることができる。(中略)一般的には他者の評価と社会的比較の2つが最も大きな要因とされている。”(P39)
私たちは複数のアイデンティティを持ちながら生きています。異文化コミュニケーション学で重視されているのは、自分が特定の集団に帰属しているという帰属意識にもとにした、文化的/社会的アイデンティティです。集団とは、国籍・言語・信条・所属集団などでありますが、どの帰属意識が高く意識されているかで、個人の「私観(わたくしかん)」は変わります。
アイデンティティの種類(4種)
私たちはだれもが多面的なアイデンティをもっています。ここでは、アイデンティの種類を4つに分類して考えてみます。
① 個人的アイデンティ(先天的)
個人的アイデンティとは、個人が生まれながらにして持つ性質や気質、思考傾向を指します。ここでは、東洋哲学の視点を取り入れ、生まれた時の天体の配置から生年月日と時刻を陰陽五行に分類して個人の性質を見分ける四柱推命の考え方を基礎としています。これは人の「天命」や「宿命」とも関係し、その人らしさの根本的な源とされるものです。個人的アイデンティは、自己理解の核となり、人生の選択や価値観の形成に深く影響します。
②文化的アイデンティ(後天的)
文化的アイデンティとは、人が生まれ育った地域や民族、言語、信仰、芸術、風習などの文化的背景によって形成される自己認識です。これは家庭や地域社会、教育などを通じて徐々に身につき、自らの「所属感」や「世界の見方」を形作ります。
③社会的アイデンティ(後天的)
社会的アイデンティとは、年齢・国籍・階級・ジェンダー・ライフステージなど、社会の中での役割や立場に関連して構築される自己認識です。これは、周囲の期待や社会的ラベルを通して内面化されるものであり、自他の関係性の中で変化していく動的な側面を持ちます。
④職業的アイデンティ(後天的)
職業的アイデンティは、仕事や専門分野に関する自己認識や使命感、プロフェッショナルとしての自負などを含みます。これは、キャリア形成や職場での経験、社会的承認などを通じて後天的に培われるもので、個人の人生の中で重要な意味を持つことが多いです。
【図解】4種類のアイデンティ(要素と性質)
分類 | 要素 | 性質 |
---|---|---|
① 個人的アイデンティ(先天的) | 生年月日、天体配置、陰陽五行、気質、性格 | 静的・本質的だが変化もあり |
② 文化的アイデンティ(後天的) | 言語、信仰、風習、教育、地域文化 | 経験によって形成・変化する |
③ 社会的アイデンティ(後天的) | 性別、年齢、国籍、階級、社会的役割 | 動的・関係性の中で変容する |
④ 職業的アイデンティ(後天的) | 仕事、専門性、キャリア、ライフワーク | 環境や経験により書き換え可能 |
先天的な個人的アイデンティは、自己に内在する静的で本質的なものです。しかし、同時に、止まることなく動き続ける天体の影響を受けているので、天体の配置により、視点が変化したり、勢いが強まったり弱まったりする性質があります。後天的アイデンティティは、自分をとりまく様々な環境の影響を強く受けており、動的に変化するもので、経験や環境によって書き換えられる存在です。
「自分は何ものなのか」と問いかけた時、自分が認識している自分と、他者から認識されている自分が違うと感じる時、アイデンティは揺らぎます。自分の価値観は何か、どの集団への帰属意識を優先したいのか、使命感をもって取り組めることは何か。多面的なアイデンティの一つひとつを確認していく延長線上に、それらを統合した全体性があります。全体性の中で自分への理解を深めながら人生のイメージを描いていくプロセスが、アイデンティを形成していきます。
学術分野における専門用語を理解する上での注意点
学術的な考え方で注意していただきたいのが、専門用語とは同じ言葉でも学術分野によって意味が違うということです。異文化コミュニケーション学における”文化”とは、2.異文化コミュニケーションとはでお話したように、高等文化というより一般文化であり、それは、日常の生活様式です。ここでお伝えしている4種類のアイデンティすべてを包括していると言えます。一方、前のパラグラフの文化的価値観、ここでお伝え意している文化的アイデンティの”文化”は、私たちが一般的にイメージする文化の意味合いが強く、地域性を帯びている傾向が強いととらえていただけるとわかりやすいかもしれません。ここでは、アイデンティの多面的性を理解してもらうよう、異文化コミュニケーションの定義から逸脱してカテゴリー分けを行いました。
異文化コミュニケーション学における”文化”は”価値観”とも言いかえることができるほど広い範囲を含み、深層にある精神文化が表層的な行動文化・物質文化に大きく影響を及ぼしています。
🔄 アイデンティティは、自分の経験や環境の影響を受けながら、変化し続けアップデートされていきます。
6. 多文化社会におけるアイデンティティ発達モデル
少数者と主流派のアイデンティティ発達モデル
多文化社会において人は、自身の文化的背景と異なる文化の社会との関係の中で、アイデンティティを段階的に発達させていきます。『はじめて学ぶ異文化コミュニケーション — 多文化共生と平和構築に向けて』では、マーティン&ナカヤマ(2011)”Intercultual communication in contexts”を参考に、少数派・主流派という立場別に見た、典型的な発達モデルをまとめています。
①少数派のアイデンティティ発達モデル
- 無自覚(よく考えていない)
── なんとなく主流派に憧れる。少数派の自分を恥ずかしく思うことも。 - すりより(主流文化への同化)
── 偏見、差別的な眼差しを感じ、主流派に対する強い同化願望をもつ。 - 抵抗と分離(自文化への回帰)
── 主流文化に対して反発し、自文化の価値や誇りを再評価する段階。分離志向になることも。 - 統合(複数文化を内包した自我形成)
── 自文化に帰属意識をもつと同時に、差別や偏見には反対の意思表明をし、行動に移すことができる段階。
段階(成熟の流れ) | 心理状態・特徴 | 行動の傾向 |
---|---|---|
🟡 Step 1:無自覚 | 主流派に憧れ、少数派の自分を恥ずかしく感じることもある | 同調・自己否定 |
🟠 Step 2:すりより | 偏見を感じ、主流文化に強く同化したいと望む | 適応努力・自文化の回避 |
🔴 Step 3:抵抗と分離 | 主流文化に反発し、自文化の価値を再評価 | 自文化への誇り・主流文化への批判 |
🟢 Step 4:統合 | 自文化に帰属しつつ、差別への反対を表明し行動する | 多文化的自我・社会的発信 |
②主流派のアイデンティティ発達モデル
- 無自覚(気に留めていない)
── 自身が文化的に優位な立場にいることに無自覚で、他文化の存在や課題に考えていない状態。 - 受容(他文化への気づき)
── 少数派への偏見や差別に意識的、無意識的に取り入れ、不公正な社会の仕組みに自らも加担している。 - レジスタンス(特権への認識)
── 主流派である自分たちの文化的特権や不公正な社会の仕組みに気づき、問題の根源は主流派にあると考える段階。 - 再定義(新たな自己理解)
── 主流派としての自らのアイデンティを再定義し、肯定的に捉え直す段階。レジスタンスのように自分の所属する主流派を否定することなく、世の中の不公正をなくすことに尽力するなど、独自の確固たるアイデンティを確立。 - 統合(多文化的視点の獲得)
── 自分の所属する主流派のアイデンティを維持しながら、少数派の存在も肯定的に捉え、少数派へのエンパシーも表明できる。
段階(成熟の流れ) | 心理状態・特徴 | 行動の傾向 |
---|---|---|
🟡 Step 1:無自覚 | 他文化や不公正に気づかず、文化的優位に無自覚 | 現状追認・無関心 |
🟠 Step 2:受容 | 偏見や不公正な仕組みに無意識に加担していることに気づきはじめる | 少数派への理解・自己の位置への気づき |
🔴 Step 3:レジスタンス | 特権構造や不公正の根源に主流派の責任があると認識する段階 | 社会構造への批判・既存秩序への疑問 |
🔵 Step 4:再定義 | 主流派としての自分を肯定的に捉え直し、不公正の是正に尽力する段階 | 公正への行動・自己理解の深まり |
🟢 Step 5:統合 | 主流派の立場を保ちつつ、他文化や少数派への共感と尊重を示せる段階 | 多文化共生の実践・包摂(ほうせつ)的な視点 |
アイデンティ発達モデルの注意点
これらのモデルは、あくまで「到達目標」として提示された一つの例に過ぎません。しかし、異文化摩擦を引き起こす無意識レベルの感覚に気づかせてくれるモデルです。また、人間は一つのアイデンティに支配されているわけではなく、多面的なアイデンティを持っています。時には少数派となり、時には主流派となることがあるでしょう。アメリカ、オーストラリアなど多文化社会に住む人たちでも、最終可段階の「統合」に達した人は極めてすくないと言われています。これらのモデルは、それぞれの立場における自分の現状を見つめるためのヒントとなり、アイデンティ発達をうながす手助けとなるでしょう。
多文化人のアイデンティティと自己形成
文化の境界線上にいる多文化な人たちのアイデンティについて。国際結婚や海外移住などで、様々な文化が交錯している人たちは、基準となる文化的アイデンティが複数あるのが特徴です。様々な葛藤に直面していると言われています。マーティン&ナカヤマは、上で紹介した少数派と主流派が比較的直線的に進むことに対し、多文化な人たちは、「行ったり、来たり」複雑なサイクルをたどるとしています。
- 混乱・葛藤(どの文化にも所属できない)
── まわりとの差異に気づき、どこにも所属できないという感覚を持ち、自分のアイデンティティについて考えざるおえない。 - 一方のアイデンティを主軸にする(無理にどこかの文化に所属しようとする)
── 異なる文化の狭間で、一つのアイデンティを主軸と決め、無理やり所属しようという段階。 - 二重アイデンティティの獲得(自文化でも異文化でもない中間的視点)
── 複数の文化にまたがる自己理解を得る。「私はどこにいても私」「私は両方の文化を生きる」「私は地球人」というように、一つの文化に縛られず、柔軟で重層的な自我を形成する。
→この段階に至ることで、多文化人(マルチアイデンティ)として、文化間の橋渡し役を果たす可能性も広がる。
段階(成熟の流れ) | 心理状態・特徴 | 行動の傾向 |
---|---|---|
🟡 Step 1:混乱・葛藤 | どこにも所属できない感覚に苦しみ、自分のアイデンティティを模索し始める | 疎外感・内省・文化的迷子状態 |
🟠 Step 2:一方のアイデンティを主軸にする | 複数文化の狭間で、無理にどこかに属しようとし、一方を選択してしまう段階 | 同一化の努力・自己矛盾・不自然な適応 |
🟢 Step 3:二重アイデンティティの獲得 | 複数文化を包摂し、「私はどこにいても私」と感じられる柔軟で重層的な自己理解へ | 自己受容・文化の橋渡し役・多文化的共感力の発揮 |
二重アイデンティの状態となり、どこか一つの文化のみにしばられない状態は複眼的思考を可能にし、異文化コミュニケーションの現場においては、橋渡し的存在として活躍できる最高の存在となります。
🌐 多文化社会におけるアイデンティティは、他者との関係の中で揺れ動きながら、自分らしさを再発見するプロセスです。
7. アイデンティティの変化と異文化適応
異文化経験を通して、人はしばしば自らの「文化的アイデンティティ」と向き合うことになります。自文化を中心に世界を捉えていた視点から、他文化の存在を認め、相対化する視点へと移行していく――この過程は、決して一様ではなく、さまざまな葛藤や選択を伴うものです。
たとえば、海外に留学した学生が、自国の常識が通用しない場面で戸惑ったり、現地文化に合わせようとして自分を見失いそうになったりするように。あるいは、移住者や多文化社会に暮らす人々が、日々の暮らしの中で「どの文化を選び、どう関わるか」を問い続けながら、自分の立ち位置を模索することも少なくありません。
こうした文化的アイデンティティの変化を理解するうえで、心理学者ジョン・ベリー(John W. Berry)が提唱した「異文化適応の4分類」は非常に有用です。このモデルは、以下の2つの軸で個人の態度を分類します:
- 自文化のアイデンティティを維持したいか?
- 現地文化の人々と積極的に関係を築きたいか?
この2軸の組み合わせにより、異文化との関わり方は4つのタイプに分類されます。
文化的アイデンティティの変化:4つの適応パターン
1. 分離(Separation)【自文化:高・現地文化:低】
▶ 自文化にこだわり、現地文化との接触を最小限にとどめる態度。
自文化に対する誇りや帰属意識が強く、現地文化には馴染もうとしません。
例:海外赴任者が、日本人コミュニティ内でのみ生活し、現地の人との交流を避けるケース。
2. 同化(Assimilation)【自文化:低・現地文化:高】
▶ 自文化を手放し、現地文化への適応を最優先する態度。
新しい文化環境に溶け込もうと努力し、自文化のネットワークから距離を置く傾向があります。
例:日本人留学生が、現地の友人との関係に注力し、日本人との関わりを避けるようになる。
3. 周辺化(Marginalization)【自文化:低・現地文化:低】
▶ どの文化にも帰属意識を持てず、孤立した状態。
文化的アイデンティティの混乱や喪失感が強く、「どこにも属していない」という感覚に陥ります。
例:異文化間で長年暮らした結果、自分の文化的アイデンティティが曖昧になってしまう。
4. 統合(Integration)【自文化:高・現地文化:高】
▶ 自文化を尊重しつつ、現地文化との関係性を築きコミュニティの一員になろうとする
両方の文化を受け入れ、自分の中で調和を図る姿勢です。多文化社会における「架け橋」のような役割を果たすこともあります。
例:母国の価値観を大切にしながら、現地の習慣にも柔軟に適応する人。
理想とされる「統合」のかたちへ
この4分類において、もっとも望ましいとされるのが「統合(Integration)」の状態であることは研究者の間で一致しています。異文化感受性の発達モデルにおいては最終段階にあたるとされ、自文化と他文化の両方を理解し、尊重できる柔軟でバランスの取れた姿勢と言えるでしょう。
一方で、「分離」や「同化」は、まだ自文化・他文化との関係性が未成熟であることを示し、「防衛」の段階ともいわれます。そして「周辺化」は、異文化適応が進んだ人が、逆にアイデンティティの再構築に苦しむ場合にも見られる状態です。
文化的アイデンティティの”私の現在地”
もちろん、文化的アイデンティティは固定的なものではなく、時間や環境とともに流動的に変化していきます。人生のある時期には「同化」の姿勢だった人も、経験を重ねていくことで「統合」の方向へと成熟していきます。
今のあなたは、どの段階にいると感じますか?
文化的アイデンティの概念は複雑で、今回ご紹介した4種類を単純化するこには問題があります。ただし、文化的アイデンティを模索する上では、自己分析のヒントになる可能性を秘めています。過去の異文化経験を振り返り、自分がどのように感じ、どのように振る舞っていたかを考えることで、文化的アイデンティティの現在地が見えてくるかもしれません。
現地文化の取り込み:低 | 現地文化の取り込み:高 | |
---|---|---|
自文化アイデンティ:高 | 1.分離(Separation)→ 自文化にこだわり、現地文化と距離をおく | 4.統合(Integration)→ 自文化を維持しながら、現地文化の一員となる |
自文化アイデンティ:低 | 3.周辺化(Marginalization)→ どちらの文化にも帰属意識を感じられない | 2.同化(Assimilation)→ 自文化を捨て、現地文化への同化を最優先 |
🌱 異文化経験を通じて、文化的アイデンティティは段階的に変化し、「統合」へと成熟していく
まとめ:文化の海を越えて、自分という大地に還るーグローカルの扉を開くー
異なる文化や価値観にふれたとき、私たちの心は静かに揺れ動きます。その揺らぎは、自分とは何者かを問い直すチャンスでもあります。たとえ背景が違っても、人の奥底には通い合う感情や願いが存在し、それが共鳴し合うことで、世界はぐっと身近に感じられるようになります。
遠くの世界を知ることは、実は、足元の大地を深く感じること。「ローカル」と「グローバル」が交差する時代に生きる私たちは、他者との違いを知り、対話し、受け入れるプロセスを通して、「グローカル」な感性──世界と地域、他者と自己をつなぐまなざし──を育んでいくのです。
その過程で出会うのは、社会の中の自分、そして何より、本来の自分自身。
揺らぎを経てたどり着く場所は、自分という確かな「大地」なのでしょう。それは、境界を越えた先に開かれる、「新しい私」との出会いでもあります。
地域に根ざしながら、地球規模でものごとを捉える、この学びの旅が、皆さん一人ひとりの中にあるグローカルの扉を開いてくれることを願っています。
参考文献リスト
石井敏, 久米 昭元, 長谷川 典子, 桜木 俊行, 石黒 武人(2013).『はじめて学ぶ異文化コミュニケーション — 多文化共生と平和構築に向けて』. 有斐閣.
古田 暁 (2001).『異文化コミュニケーション・キーワード』 .有斐閣.
東洋思想から見る、異文化コミュニケーション学
今回のブログでは、異文化コミュニケーション学に加えて、私の専門である東洋思想の視点から「価値観」や「アイデンティティ」についても触れました。
東洋思想では、「天・地・人」の三位一体の調和が、人生をよりよい方向へ導くと考えられています。
- 天(てん):生まれたときの天体の配置によって与えられる“宿命”や“運命”を意味します。これは四柱推命の領域であり、先天的な性質や才能への気づきは、自己理解の基盤となります。
- 地(ち):環境や風土といった後天的な要因であり、「風水」によって調整可能な要素です。文化的・社会的・職業的アイデンティは、まさにこの“地”に影響されるものです。
- 人(じん):人としての在り方、つまり人格や志といった精神的側面を指し、「人間学」や「帝王学」と呼ばれる領域にあたります。
西洋の異文化コミュニケーション学と東洋思想は、一見異なるようでいて、「全体の調和を重んじる」という点において共鳴し合う部分が多くあります。文化を超えるということは、外に出ていくこと以上に、自分の内なる軸と向き合うことなのかもしれません。
もし、こうした東洋思想に興味を持たれた方は、ぜひ期間限定でプレゼントしている「首里城の風水思想」動画をご覧ください。
沖縄の歴史と精神文化に触れるひとときを、お楽しみいただければ幸いです。
▶︎首里城の風水思想をひも解く特別映像講義60分(動画視聴はこちら)
東道里璃 (とうどう りり)
最新記事 by 東道里璃 (とうどう りり) (全て見る)
- 建築家が建築家に託した邸宅 × 琉球風水|空間に宿る“氣”と美意識の特別企画 - 2025年6月18日
- 夏至 × テーブルコーディネート|沖縄・玉城城跡の朝日をテーマにした祈りの設計書 - 2025年6月11日
- 異文化の海を越えて、自分に還る旅|大学生のための異文化コミュニケーション学入門 - 2025年6月7日
この記事へのコメントはありません。