出典:那覇市歴史博物館所蔵(『中城御殿御敷替御普請日記』原本表紙)

「この人生を終える前に、中城御殿の風水を解き明かしたい」 そんな想いに突き動かされ、私は今、ある一冊の古文書と向き合っています。

那覇市歴史博物館に所蔵されている一次史料、尚家文書501『中城御殿御敷替御普請日記(なかぐしくうどぅんおしきがえごふしんにっき)』。 2026年秋、首里城正殿とともに一部開園を控える「中城御殿(世子の住まい)」の移設にまつわる、風水鑑定と普請(建築)の生々しい記録です。

中城御殿とは何か:継承される王国の精神

中城御殿は、琉球王国の世子(跡継ぎ)の邸宅でした。 1879年の廃藩置県の際、国王一族が首里城を去った後の住まいとなり、首里城で行われていた国家祭祀もこの場所で引き継がれました。

沖縄戦で惜しくも焼失し、戦後は県立博物館などが置かれてきましたが、いよいよ2026年、その姿が再び私たちの前に現れます。

史料が語る「長男の吉利」を求めた移設

なぜ、中城御殿は現在の首里高校の場所から、龍潭の北側(現在の県立芸大付近)へと移設されたのか。 その裏側には、切実な「風水の願い」がありました。

19世紀半ば、若き王位継承者が早世した背景を受け、1867年、第19代尚泰王は風水調査を命じます。当時のエース級風水師・鄭良佐(ていりょうさ)は、龍潭北側への「全面移設」を提案しました。

日記には、以下のような高度な鑑定プロセスが記されています。

  • 伝統風水の粋: 八宅・九宮・十二宮・三元氣運など、多角的な鑑定法による論理的解説。
  • 環境への眼差し: 龍潭の水を「福徳の水」と称え、不足する緑を植樹で補う「庭園都市」の構想。
  • 一族の繁栄: 何より「長男(世子)に吉利をもたらす立地と間取り」の徹底的な追求。

翻刻・翻訳への挑戦:AIと古典を武器に

この宝物のような資料は、約300丁(約600ページ)に及ぶ漢文と候文(そうろうぶん)の塊です。翻刻の予定は立っておらず、これまでその全貌が明かされることはありませんでした。

判読困難な草書体、句読点のない白文。 私は今、一文字ずつ原典と向き合い、自ら翻刻・翻訳を進めています。 中国伝統風水の古典書を紐解きながら、当時の風水師たちが何を見、何を考えたのかを追体験する日々です。現代のAI技術も駆使してエビデンスを追い、その過程で出会ったのが、福建の知の巨人・何廣憙(か・こうき)といった、歴史の陰に隠れた重要人物たちの存在です。

この史料に記された知恵は、現代の私たちの暮らしや空間デザインにも通じる、普遍的な「理(ことわり)」に満ちています。

これから、この『中城御殿御敷替御普請日記』の内容を少しずつ翻刻・翻訳し、皆さんと共有していきたいと思います。中城御殿という空間に込められた、琉球風水の集大成。その謎解きを、ここからスタートします。

探究の第一歩として

本プロジェクトの背景や、私の執筆への想いについては、こちらの記事でも詳しくご紹介しています。

▼ブログ内関連記事(活動報告)

【メディア掲載】タイムス住宅新聞・年始特集「理(ことわり)と美の風水史」掲載のご報告

この『中城御殿御敷替御普請日記』に記された膨大な記録のうち、移設の背景や鑑定の核心部分を凝縮してまとめたものが、2026年1月4日に掲載されたタイムス住宅新聞の年始特集コラムです。

これから始まる詳細な翻刻・翻訳の連載を読み進めていただくための「地図」として、まずはぜひこちらの記事を先にご覧ください。

▼タイムス住宅新聞 特集コラム(WEB版外部サイト)

理(ことわり)と美の風水史|中城御殿・移設の謎に迫る

2026年1月4日発行のタイムス住宅新聞・年始特集「理(ことわり)と美の風水史」の紙面。首里城や中城御殿のイラストと共に、琉球文化空間デザイン研究所代表・東道里璃の解説コラムが掲載されている様子。

(出典:沖縄タイムスの住宅専門紙『週刊タイムス住宅新聞』 2026.1.4. 18-19面. タイムス住宅新聞社)

この記事を読み終えた時、皆さんの目には、かつての首里の風景がこれまでとは違った色で映り始めているはずです。

準備は整いました。 次回の投稿より、いよいよ『中城御殿御敷替御普請日記』の本文、その一文字一文字を紐解いてまいります。

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琉球風水研究者。 立教大学大学院異文化コミュニケーション学修士。 沖縄国際大学経済学部地域環境政策学科 非常勤講師。 首里城や風水集落を通して、琉球王国の自然観と空間思想を研究。 著書『風水空間デザインの教科書』(ガイアブックス)。