ロンジェ琉球風水アカデミー、学長の横川明子です。

2015年2月、当時は首里城の未公開区域となっていた、正殿の後ろ側にある、首里城の最高標高地点、東のアザナ(標高142m)を見学しました。

風水の視点から首里城を見るとき、やはり360度からその風景を眺めたいと思うのですが、特に正殿の後ろ側の風景がどうなっているかというのは、とても興味がありました。東のアザナからの景色を拝めことは、私にとっては、最高の刺激となりました。

風水では、龍穴を守るために四方に霊獣がいることを「四神相応」と呼びますが、正殿裏の東のアザナからは、正殿の背後に位置する首里城の玄武、弁ヶ嶽をはっきりみることができます。上の写真では、私の左側にある山です。

正殿の真裏から見た弁ヶ嶽

首里城の背中、つまり正殿の座山の延長線上から弁ヶ嶽を見たことで、玄武をどこにみたかの確認ができます。そして、首里城を抱くにようにまもる地勢がどうなっているのかを、確かめることができます。

弁ヶ嶽は、首里城正殿の真後ろにありました。一方、気になったのは、琉球にとっての聖地である、久高島と斎場御嶽の位置です。東のアザナに立って、首里城正殿を背中にすると、正面には弁ヶ嶽、少し右に久高島、さらに少し右に斎場御嶽があります。

東のアザナから見る久高島

煙突の右側の窪みの部分、海の上に浮かぶ久高島を拝むことができます。斎場御嶽は、久高島の右に見える半島の向こう側にあり、首里城からは見ることはできません。

羅盤で見てみると、「久高島は、首里城から見てギリギリ東の方角にあるけれど、斎場御嶽は南東に位置するかもしれない。」そんな印象でした。

google earthをプリントして、羅盤を当ててみると、首里城からみて、久高島は東、斎場御嶽は南東に入っていました。

首里城から見た冬至の日の出が重視されていたことから、那覇の冬至の日の出の角度を調べてみると、116度という数値が出てきました。首里城は、二十四方位では卯山ですので、東に背中にして、西を向いています。

首里城の真北を0度とすると、弁ヶ嶽が約90度の方位、つまり真東にあり、久高島は100~110度くらい(やや南寄りの東)、そして斎場御嶽は、115度くらい(南東)の位置にあります。そして、那覇の冬至の日の出の角度は116度ですので、冬至の日は、斎場御嶽のあたりから太陽が上がってくるのが、見えたと思います。

こうした小さな発見からも、琉球風水は、中国から伝わってきた風水をそのまま当てはめたのではなく、沖縄の自然観、首里城の立地や聖地の位置、太陽信仰など、様々な要素を融合し、カスタマイズされていたのではと、感じます。

風水理論の考え方というのは、自然を観察することから生まれてきたものであり、八卦の象意などは、中国の風土を基準にした自然観が、たっぷりこめられています。

琉球王国は、福建省に留学生を送り、本場の風水を学ばせてきていますが、琉球独自にローカライズしている点が多々あります。

本場の風水を学び、しかし、琉球独自の形が造られたのは、本場の風水理論が絶対的であるという形にとらわれることなく、「風水は自然との調和である」という本質を、しっかり理解していたことに他ならないことの表れだと思います。

中国の自然観と、琉球の自然観が異なるのは、当然のことです。

沖縄で風水を実践するとき、「風水の本に書いてあるから」「本場ではこうらしいから」「本土の風水師がこういっているから」という理由で、そのまま真似をしてみても、歯が立たなかったわけですが、それは、当然のことなのだと、改めて実感いたしました。

東のアザナから見た正殿の古写真

現在の東のアザナから見た正殿

首里城正殿、後ろ姿も美しいですね。

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琉球風水研究者/ロンジェ®琉球風水アカデミー学長 立教大学大学院修士(異文化コミュニケーション)。 沖縄国際大学経済学部地域環境政策学科 非常勤講師。 首里城や風水集落を通して、琉球王国の自然観と空間思想を研究。 ロンジェ®琉球風水アカデミーでは、風水×テーブルコーディネートを融合した講座を主宰し、伝統と現代をつなぐ実践教育を展開。 著書に『風水空間デザインの教科書』(ガイアブックス)。