食を生む重要な場

ロンジェ琉球風水アカデミー、学長の横川明子です。

沖縄は、14世紀に中国(当時の明)と朝貢関係を結びました。琉球王国は、中国から様々な影響を受け、それを自国に取り入れいます。豚トイレは、当時交流の深かった、福建省から伝わってきたものです。琉球風水を研究していると、電気、ガス、水道がまだなかった時代、いかに自然と調和して、持続可能な暮らしをしてくかを考えていたことに、心をうたれます。

伝統的な琉球民家では、豚トイレが広く利用されていました。琉球民家のトイレを風水の視点から、解説します。

風や水の流れで問題解決

伝統的な琉球民家の敷地内では、トイレはプラベート空間に配置され、敷地の左手奥にありました。方角的にみれば、母屋の背中が北側(北東・北・北西)であることが一般的ですので、トイレは北側や西側のエリアに配置されていることが多かったはずです。

季節風を配慮したトイレの臭い対策

琉球民家のトイレの配置は、風水の視点から、とても大きな意義があります。夏の心地よい風は、主に南、南西から吹きます。一方、冬には、北や北東から厳しい季節風が吹き込みます。この位置にトイレがあると、夏の風、冬の風、どちらから風がきても、トイレの臭いが母屋に流れてきません。沖縄独特の風の性質と向き合うことで、トイレの臭いの問題は緩和されていました。

敷地の高低差を利用した適切な排水への配慮

琉球風水では、敷地の高さが、北側と東側が高く、南側と西側が低いことが理想とされていました。敷地内の水は、北東から南西に流れるため、母屋の下には水が通りません(新聞記事内の図を参照)。また、傾斜がゆるやかにあることで、不要な水が適切に排出されました。当時のトイレはもちろん水洗ではなく、主に豚トイレが取り入れられていました。大雨が降っても、汚物を含んだ水が母屋に流れ込んでこない位置にトイレが配置されているのがわかります。

風水が盛んだった中国福建省では、豚トイレが使われていたようです。豚小屋と一緒にトイレを作り、人間が糞をすると豚がそれを食べるという仕組みです。豚はやがて人間の食料となりました。また、豚の糞は堆肥として作物に与えます。完璧な循環型の生活が出来上がっていました。沖縄にも今から約600年前に豚が福建省からもたらされ、豚トイレも一緒に使われていました。沖縄では豚便所のことを「ワーフール」とか「フール」と呼び、戦前まで使っているところもあったようです。王朝時代の豚トイレは、明治時代に県令で禁止されいていることもあり、現存している民家でほとんどみかけることはありません。

豚トイレは排泄の場でありながら食を生む場

豚トイレで重要だったのは、豚が大切な食糧源であったことにあります。人は水と食べ物が無くては生きることができません。食べ物があるところには神様を祀り、感謝と食が絶えることが無いように祈りました。豚トイレは、排泄の場でありながら、食を生む場でもあったため、今のトイレ以上に重要でした。特に、伝染病などの病気が発生すれば、家族が体調を崩し、その上、豚が死ぬことになれば、食糧源が絶たれます。そのため、清潔にすることが必然的に要求されました。

トイレは人体に例えるとお尻(肛門)

風水では、住宅を人体に例える考え方があります。玄関が顔、口であるとすれば、トイレはお尻や肛門に相当し、住人の健康運に影響すると考えます。不要になった老廃物が出て行く場所であり、玄関から入った財運の出て行く場所でもあります。対角線上にあったり、動線が長いなど、玄関からトイレができるだけ遠くにあるほうが、財運や健康運が家全体に行き渡り、吸収されやすいと考えます。

執筆を終えて

豚トイレは中城村の中村家にありますので、執筆前に実物は過去にみていますが、今回の調査では、読谷村の琉球村へも行ってきました。琉球民家は、ただ見るだけですと、「ふ~ん」で終ってしまうのですが、風水の視点から観察していくと、「なるほど!」と、うなるものがあります。今月のコラムをお読みになったら、是非、琉球村や中村家に足を運んでみてくださいね。

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東道里璃【Lily Todo】 株式会社ロンジェ 代表取締役 立教大学大学院異文化コミュニケーション学修士 著書「琉球風水で叶うナチュラルエレガント 風水空間デザインの教科書」(ガイアブックス刊) 東京世田谷区出身。成蹊大学経済学部卒。財団法人日本道路交通情報センターに入社し、JARTIC道路交通情報キャスターとしてNHKテレビ、J-waveなどに出演。夢を叶え、充実した人生であったが、忙しい生き方に疑問を抱く。「自然が好き」という価値観に素直に生きることを決意し、退職してニュージーランドへ。1年間、スクーバダイビング、スノーボード、トレッキング、アフタヌーンティーの旅に出て、東京の経済優先の価値観が音を立てて崩れる。「豊かさとは一体なんなのか?」を自分に問いかけるきっかけとなる。帰国後、立教大学大学院へ進学。在学中、乗馬の練習中に落馬して骨盤を骨折し2ヶ月入院。うつ病になるも、なんとか修士論文を書き上げ異文化コミュニケーション学修士号取得。卒業後、新築注文住宅の設計で風水との運命の出会い。しかし、設計は失敗。理想の未来を描けない東京の土地を離れ、2011年沖縄の離島へ移住。沖縄が東京から南西方位にあり、引っ越しのタイミングに風水的大吉方位だったので、風水の効果とやらを実験してみたかった。沖縄最初の新居は、築180年の琉球民家。離島の集落で王朝時代の風水集落に出会い、人生の使命を見つけたと確信して琉球風水師に転身。過去の新築住宅設計失敗の理由を徹底分析。2012年、親族も友人も誰も知り合いのいない宜野湾市で、琉球風水スクールを立ち上げる。ブログによる情報発信が新聞編集者の目に留まったことを機に、沖縄タイムス系新聞コラム通算80本以上執筆。有名企業・団体からの依頼でセミナー講師を務め、参加者の数は1000人以上に。新築住宅や商業空間の現場でも風水デザインを監修。2022年『琉球風水でナチュラルエレガント 風水空間デザインの教科書』出版。現在、聖地の点在する南城市の風水集落に住み、オンライン&対面のハイブリッド型のスクール、ロンジェ琉球風水アカデミー運営。少人数制の個別対応で、受講生に寄り添い、ひとりひとりの価値観にあった土地選び、家選び、室内装飾、生き方を一緒に考えている。県内の大学でも非常勤講師を務める。 「生き方に迷ったら、リセットボタンを押してみよ。人生はゲームさ。何度でもリスタートできるよ」 特典付きニュースレター「琉球風水インテリア通信」配信中 https://longe.jp/newsletter/
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東道里璃【Lily Todo】 株式会社ロンジェ 代表取締役 立教大学大学院異文化コミュニケーション学修士 著書「琉球風水で叶うナチュラルエレガント 風水空間デザインの教科書」(ガイアブックス刊) 東京世田谷区出身。成蹊大学経済学部卒。財団法人日本道路交通情報センターに入社し、JARTIC道路交通情報キャスターとしてNHKテレビ、J-waveなどに出演。夢を叶え、充実した人生であったが、忙しい生き方に疑問を抱く。「自然が好き」という価値観に素直に生きることを決意し、退職してニュージーランドへ。1年間、スクーバダイビング、スノーボード、トレッキング、アフタヌーンティーの旅に出て、東京の経済優先の価値観が音を立てて崩れる。「豊かさとは一体なんなのか?」を自分に問いかけるきっかけとなる。帰国後、立教大学大学院へ進学。在学中、乗馬の練習中に落馬して骨盤を骨折し2ヶ月入院。うつ病になるも、なんとか修士論文を書き上げ異文化コミュニケーション学修士号取得。卒業後、新築注文住宅の設計で風水との運命の出会い。しかし、設計は失敗。理想の未来を描けない東京の土地を離れ、2011年沖縄の離島へ移住。沖縄が東京から南西方位にあり、引っ越しのタイミングに風水的大吉方位だったので、風水の効果とやらを実験してみたかった。沖縄最初の新居は、築180年の琉球民家。離島の集落で王朝時代の風水集落に出会い、人生の使命を見つけたと確信して琉球風水師に転身。過去の新築住宅設計失敗の理由を徹底分析。2012年、親族も友人も誰も知り合いのいない宜野湾市で、琉球風水スクールを立ち上げる。ブログによる情報発信が新聞編集者の目に留まったことを機に、沖縄タイムス系新聞コラム通算80本以上執筆。有名企業・団体からの依頼でセミナー講師を務め、参加者の数は1000人以上に。新築住宅や商業空間の現場でも風水デザインを監修。2022年『琉球風水でナチュラルエレガント 風水空間デザインの教科書』出版。現在、聖地の点在する南城市の風水集落に住み、オンライン&対面のハイブリッド型のスクール、ロンジェ琉球風水アカデミー運営。少人数制の個別対応で、受講生に寄り添い、ひとりひとりの価値観にあった土地選び、家選び、室内装飾、生き方を一緒に考えている。県内の大学でも非常勤講師を務める。 「生き方に迷ったら、リセットボタンを押してみよ。人生はゲームさ。何度でもリスタートできるよ」 特典付きニュースレター「琉球風水インテリア通信」配信中 https://longe.jp/newsletter/